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Ep.33 【経る】『出張』という作品を遺した父・映画人としての父親のこと①

19m 59s

Ep.33 【経る】『出張』という作品を遺した父・映画人としての父親のこと①

この放送で、カンバラケンタロー氏は自身の父親との関係について語っています。父親は学生時代に映画製作に関わり、バブル期には不動産業と映画製作会社を経営していました。幼少期から父に洋画(スター・ウォーズ、チャップリン、ヒッチコックなど)を教えられたことが、話し手の映画好きの原点となりました。しかし、父の映画製作に関する具体的な話はほとんど聞かずに過ごしました。2013年10月29日、父親が死去。葬儀の準備中、深夜に父が製作した映画『出張』(沖島勲監督、1989年公開)を初めて視聴。ブラックコメディで面白く、オープニングに「制作」として父の名前が表示された瞬間、これまでにない感動を覚えました。翌日の葬儀には父の映画関係者が多数参列し、初めて父の映画人としての一面を知り、もっと話を聞いておけばよかったと後悔しました。後に映画館で『出張』を再鑑賞した際も、父の名前が映るたびに誇らしさと特別な感情が湧きました。話し手は父の影響で映画を好きになったものの、自らの意志で映画製作を志し、2012年に独立。父から「映画をやれ」と言われたことはなく、ある意味反発するように自分の道を選んだと振り返っています。この話は連続的ではなく、飛び飛びで続けていく予定です。

Transcription

492 Words, 5433 Characters

Japanese
[音楽] 映画の同士今回も始まりました カンバラケンターのね えー最近ねまあお仕方たまにちょっとね話しましたけど お仕方も色々あって昨日名古屋に被害で延々をしてきまして まあいく途中の新幹線 帰りの新幹線で仕事もしながらみたいなね まあライブ中にも 携帯で撮影可能なライブだったりすると携帯の電源切ってない それでも撮影がに延々を中パコマンス中は さすがにあるですけどちょっとまぁ映像流れて 初級市みたいな時があってその時にラインパッて確認して回すとか そんなこともしながら お仕方をしてますであの最近お仕方のことを お仕事っていう言い方をする人がちょこちょこいてこの言い方 ちょっと面白いなというかいいなと思って お仕事とお仕事これがまあいわゆるワークですけど この音が一緒でイントネーションが違う音が一緒っていうか読みが一緒でイントネーションが違う お仕事お仕事とお仕事 これをね両立して両方とも 電力で頑張っていきたいと思います 両方頑張ると装置を効果になるような気もすごいしますね はいということでそんな なかなか体力的にもきついこともありますが 頑張っていきたいと思いますでこの映画の同士 ゲストねもう今何人か 収録しましょうと言っててなかなか調整できてない状態で とすいません今日も一人しゃべりになります で今日はですねあの当初からこの話は ずいじしていこうと思っていた私の父親 父の話をしたいと思います まあこれいろんななんでしょうエピソードというかあるので 一回では終わらせずまあ連続にもしない感じで飛び飛びで シリーズとは言わないですけどまあそういう感じで話していけたらと思います でまずは 父親もねなくなってますけど 本当にびっくりするような奇跡的なことも起きたりもしてるんですけど まず最初の部分でこれ 最初のこの映画の同士のゲストでお側マナムさんに来てもらいましたけど お側マナムさんと立ちと一緒に作った映画の あごめんなさ映画の同士じゃなくて言葉の映画感という詳察しがあって それの第一感 第一感2感で映画感の感で覚えていく差しなんですけど 第一感で私が書いたのは父親とのことで それにとってちょっとまず父親との話をの第1回をしてみたいと思います 文書読んでいただいた方もいると思うんですけど まあ同じような内容になるかもしれないんですが その後にいろいろなことに繋がる話をしていくためにも 最初にこの話をしたいと思います まずあの私の父親はですね学生時代に映画を作っていたというのがありまして まあ正前その頃の話はざーっと聞いていて まあなんとなくわかってはいたんですけど具体的にはほとんど知らない状態 で私がこの映画の同士でも喋ってますけど 日本映画に興味がなかったので学生の時はなので まああんまり興味な本当に興味なくて聞かなかったんでしょう でとにかく父親は不動産やで まあ母も一緒に途中からやるんですけど ずーっと不動産やで仕事にも本当に全力というか 仕事人間ワーカホリックと言えるのかなと で私が学生の頃バブルーの時代に不動産やはもう本当に その音系に預かってというか まあ急生長したというかね以前は一つの1点ぽの 不動産のお店を構える会社でしたけど なんか多分バブルーの時に10点ぽくらいになったのかな ちょっと肌かではないんですけど で多分社員50人ぐらいにもあれなんて あの一つの店舗でやってた不動産やが 社員が50人ってちょっと人情じゃないなと思うんですけど それぐらい急生長したというのは聞き化されていました でその流れで まあ昔学生のこれ映画を作ってたと いうこともあり映画製作会社も立ち上げて 日本製作されたんですね それでそのうちの一本が 出張というおきしまいさを監督の映画ですね これがですね まあこの話は聞かされてはいって でもなかなか見る機会がなかったというのがずっとでした でも私が映画を見るようになった 映画が好きになったきっかけ その影響を与えたのはやっぱり父だと思います で 父から聞かされている映画っていうのは基本用画で 例えば いわゆるハリウッドメジャーのものを一緒に見たり スターオーズとか ETが 初めて映画館で見た用画だったですね じゃあキーチェンの プロジェクトAとか プロジェクトA2とか これは違う これは友達といったのか いくつかジャッキーチェンの作品とかもするぜってもらったり で10代の後半になっていろいろ映画を自分で見たいということになってきた時に まあ急作をいろいろ教えてもらった チャップリンとかヒッチコクとか フェリー2とか そうですねもう あらゆる 海外の作品を教えてもらってどんどん見るようになって で映画館の小さな幅が広がったというのがあると思ってます まあでも新しいものは地球は知らないし 私は新しい映画その時に用画ばっかりですけどそれもどんどん見ていたので あんまりその辺の話はしなかったかもしれないですね 急作をいろいろ教えてもらったというのがとにかくあったと思います でまぁ高校卒業する頃に まああのこれは以前話してますけど 映画のことやろうと思ったけどまあこんな日本でっていう当時はね思っちゃって あと近づいて理系なんちゃって理系なんで理系に進んで 相手企業に入った っていう流れで その後日本映画をまあ味は映画が好きになってはまった流れから日本映画も見るようになって ハマって急作からハマって新しい作品を見て まあ同年代同年代とかおない年の監督がいて すごいものを作った監督がいてなんだこの状況はということで 今からでも映画のことできないかなという事で だつさの 2012年にして でまぁ今に行ってあるとまあこれは発処りますけど まあそんなことがあった まあさらにまあ17年にやって出さらしたわけですけど 出さらしたのも 2012年の3月1杯 で父親まだ県座いで まあ出さらして映画のことやるんだって話はしたい いたと思いますけど もう一人ぐらいし一人ぐらいしじゃないな一人ぐらいししたのは 社会人だって1年目の終わりとかだから 実家にはたまに帰るぐらいだったんで 映画の話はしてないまま だったさらを知ってまあ出さらしたのが結婚した後なんで 出さらしてこれからいろんな映画のことやるっていう話は ちょっとしたかもしれないですけど 具体的な話はほぼできないまま 父親は2013年の10月29日に高いしました まあこれ偶然つまの誕生日なんですけど そこから まああるですね つづや 告別式の準備とかはするという段で 私はもうずっと実家の方に行っていて またまたして補儀まあ何日後か3日後か違うな 4日後とか5日 補儀の なるということで 一旦もう服例服を取りに帰ったり 自宅の方に実家から で、母親が 「もしですけど、もしの言葉はお願いいする」って言われて 私が喋ることになり そんなことまで準備しなきゃいけないことがあるので 1回帰って 1回 次の日々また出るみたいな感じで自宅に帰りました その時に 実はいろいろ考えて 出張という映画 これフィクションですけど これがですね 少し前に深パーで放送されていて 6がしていたはずだと で、シンヤ 何時ぐらいだったかな もう1時とかだった気がしますけど よく朝 また実家の方に行かなきゃいけないときに これでも見とこうと なんかいろいろ 思いが作創して 今見るんだっていう気持ちに急になって シンヤに 出張を見始めました そしたらですね まぁ なんでしょう 面白くて なんだこのブラックコメディはと 簡単に言うと中年の営業満が 東北地方に出張のため列車に乗っていると で、ところがその先の方で 楽責事故があって 電車が動かなくなって 途中の3中の温泉旅館で一爆することになる で、よく朝 まあ復旧して 出張地に向かおうと 山道を歩いていたら 突然 無装した男にラジスされて まあゲリラ 日本にゲリラって言いないと思うんですけど ゲリラ につかまってしまうっていう で、それがまぁ すごいちょっと予想できないような展開になっていく すごい面白いんですね 石橋連日さんがそのおつかまってしまう男で ゲリラの体調が 原田吉祥さんというまたこれがすごいキャストですけど で、これが公開されたのが 1989年 私は高校3年の頃で だから 震灯 理系の大学に行くって決めた 直後とかになるのかな だからまぁ そういうタイミングだから出張を見る機会はなく というか 見えようと思ってなくて で、ずっと見てなかったという 感じだと思います で、とにかく その日 高いした 2013年10月29日で 実際これを見たのが いつなんだろう 11月2日 高いした 3日後か ね、そこで見たわけです で、 それを見て面白かったっていうものを 持って、見てよかったなという 父親がこういうものを作ったのかと しかもですね 冒頭のオープニングで 最初に出てくる スタッフの名前が 制作 プロデューサーって別にまたいるんですけど 制作という 冒頭に出るのが私の父の名前でした それを見た瞬間から一気に ちょっと なんていうんですよ これまで体験したことない 笑顔感想してるときの気持ちというか 感覚になりましたね それが最初にあったから ちょっと 通常の味方ではなかったかもしれないですけど とにも 確認も見ましたと そして 翌日の ツヤそして国別式と これがですね 父の学生時代からの映画の中間の方々が 参列してくださっていたというのが 後でわかりました その時顔も名前も知らないので 丁電もいていただいたり 丁明な映画人の 人からの名前 人からの丁電もあったり 初めて その時はもう 本当初めて 父親の映画人としての まあ 姿を知ったというか 父なんだなっていうのを知ったと まあ 父親のその映画のことの話を ほとんどね 先ほども言ったように 聞いてこなかったので もっとちゃんと 聞いておけばよかったな というのが 正直思いましたね でまあ 国別式で 私が 変わりに もしの愛さとして まあ 私が知っている父を 思って まあ 考え でその時 知ったばかりの 映画人としての 父への思いを 重ねって まあ 声を走っていったというような 感じだったかと思います で まあその 後に 実際 算列してくださった 片で 出張にかかっていた 片もいて まあ その片が あの カソーバーマで ご一緒したいということで ご一緒してもらって まあ そこで またちょっと びっくりするようなことを 知るわけなんですけど まあちょっと これは ものすごく長くなるので これまた 次回の 父親の話で 話そうと思います でまあ 出張なんですけど まあその後DVDも 購入したり して 映画館でも たまにかかるんですね おきしまいさを 監督 おきしまいさを さんも なくなられましたけど まあ そういう 特集とかでも かかるんですけど 直近というか その おさしが スカパーの 録画で見た あと 父親の 国別式の あとに 最初に映画館でやったのが 多分 2014年 8月24日の 新聞ゲーザーですね まあ そこで 出張を 作りで初めて見ました 当然ながら オープニングで 最初に 出てくる名前は 父親の 制作 で 父親の名前 ですね まあ 制作と コロモが 作法の制作ですね まあ プロデューサーなんですけど プロデューサーと ちょっと まあ 言い方を書いてるだから いくぜく ティブプロデューサー 的なことなんだ と思います 多分 で最初に 名前が出てきて それを 新聞ゲーザーの 多くの お客さんと 一緒に あのお客人で 父親の名前が 出ている 瞬間手の もう これは 他に ちょっと 笑顔 タイモの が ありました なんか 何というんですかね 誇らしいというのと ちょっと違うんですけど なんか 変に ワクワクしたというか 何というんだろう ちょっと これは 表現が 難しいですけど まあ そんな ことがあって ね その後も 直直 上映されてたと思うんですけど 最近されてないから またね されたら いいなと思って その時 また 見に行こうと思います まあちょっとね 父親との話の 触りの部分ですけど ちょっと 短めですが ちょっと話してみました あの 通常のね 言うと お呼びするのと 一人で 喋るのと まあ ありますけど まあ 今回一人で 喋る パターンで ちょっと これは 何度かに 分けて話すという 私と 父親の 間にある 話しというか まあ 父親が 元々 笑顔 やっていた 笑顔で 笑顔が好きになったんですけど 笑顔の仕事を 仕事を 思ったのは 父親が 笑顔のこと やれやれ やったが 良いよ そういうことは 一切なかった 自分の 意志で ある意味 反発する かのような 部分もあり 最終的に 自分で 笑顔を やろうと ということで 2年 2だったら 押したと いうことになります はい ということで また この続きは 次回 次回じゃなくて どこかの 回で 話そうと思います ということで 頑張らけんたろうでした ありがとうございました ♪~

Podcast Summary

Key Points:

  1. 話し手(カンバラケンタロー)は「お仕方」(仕事)と「お仕事」(ワーク)の両立を目指している。
  2. 父親は学生時代に映画製作に関わり、バブル期に不動産業と映画製作会社を経営していた。
  3. 話し手は幼少期から父に洋画(スター・ウォーズ、チャップリン、ヒッチコックなど)を教えられ、映画好きになった。
  4. 父親が2013年10月29日に死去。葬儀の準備中、深夜に父が製作した映画『出張』を初めて視聴。
  5. 『出張』のオープニングで父の名前が「制作」として表示され、感動と誇りを感じた。
  6. 葬儀には父の映画関係者が多数参列し、話し手は初めて父の映画人としての一面を知った。
  7. 後に映画館で『出張』を鑑賞した際も、父の名前が映る瞬間に特別な感情を抱いた。
  8. 話し手は父の影響で映画を好きになったが、自らの意志で映画製作を志し、2012年に独立した。

Summary:

この放送で、カンバラケンタロー氏は自身の父親との関係について語っています。父親は学生時代に映画製作に関わり、バブル期には不動産業と映画製作会社を経営していました。幼少期から父に洋画(スター・ウォーズ、チャップリン、ヒッチコックなど)を教えられたことが、話し手の映画好きの原点となりました。しかし、父の映画製作に関する具体的な話はほとんど聞かずに過ごしました。2013年10月29日、父親が死去。葬儀の準備中、深夜に父が製作した映画『出張』(沖島勲監督、1989年公開)を初めて視聴。ブラックコメディで面白く、オープニングに「制作」として父の名前が表示された瞬間、これまでにない感動を覚えました。翌日の葬儀には父の映画関係者が多数参列し、初めて父の映画人としての一面を知り、もっと話を聞いておけばよかったと後悔しました。後に映画館で『出張』を再鑑賞した際も、父の名前が映るたびに誇らしさと特別な感情が湧きました。話し手は父の影響で映画を好きになったものの、自らの意志で映画製作を志し、2012年に独立。父から「映画をやれ」と言われたことはなく、ある意味反発するように自分の道を選んだと振り返っています。この話は連続的ではなく、飛び飛びで続けていく予定です。

FAQs

ホストはカンバラケンターさんです。

名古屋への往復の新幹線の中で仕事をしたり、ライブ中に携帯で撮影可能な場合は映像を確認しながら仕事をしています。

父親は不動産屋を営んでおり、バブル期に急成長して社員が約50人になるほどでした。

学生時代に映画を作っていました。

タイトルは「出張」で、1989年に公開されました。

父親が亡くなった2013年10月29日の数日後、自宅で深夜に録画を見ました。

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