Go back

2026_#3 便利さが人間を劣化させる時代「共同体」のつくり方

34m 19s

2026_#3 便利さが人間を劣化させる時代「共同体」のつくり方

AIの急速な進化が社会の運営を効率化している一方で、人間の「ホームベース」としての体験や人間関係の価値が徐々に失われつつある。宮台信じさんは、80年代以降の社会変革が「コンプライアンス」の目的化を引き起こし、技術依存が進み、人々の体験や感情の価値を排除してきたことを指摘する。その結果、AIが人間の体験を代替する一方で、子どもたちはAIが「体験を持たない」ことから、人間らしさを直感的に理解している。しかし、AIが提供するは「効率性」や「情報の正確性」に過ぎず、真の人間的感動や他者との深いつながりを再現することはできない。そのため、人間の価値は「体験の豊かさ」と「他者との関係性」にあり、AIと対抗するのではなく、自らの身体性や感情、人間らしさを大切にし、人間としての価値を確立する必要がある。この視点から、幸せな人生を送るためには、他人との関係を大切にし、心の安らぎや感情の豊かさを重視する姿勢が重要だと述べている。

Transcription

428 Words, 12759 Characters

Japanese
「始まりました。AI時代の日AI論。進行を務めます。日は7名目です。はとさんよろしくお願いします。」 「今回のゲストは社会学者の宮台信じさんです。はとさん今日はどのお話をお聞きしたいですか?」 「宮台さんってね、今ご紹介では社会学者って言われたけど、私はあんまり社会学者的に見てなくて、 まあ、これこういう言い方したら失礼かかんないけど、哲学者だよね。社会哲学、社会学者ってどっちかっていうとさ、社会のメカニズムとか動き方の方程式を作る。 それこそ、すごく現象的なやつだったら、ニューギニアとかAmazonやマーク行って、村の人と一緒に住んで、 こういう儀式があったそれはどういう意味を持ってて、だったり、もうちょっと近代社会を見る人たちっていうのは、 いろんなデータの間の総観とって、そうかそうか、こういうふうになったら自殺が増えて、こういうふうになったら、 ジュミオが伸びるみたいな。そういうことやってる人が多いんだけどね。 我々の世代って、8年代になって、お焼けの腹から、多くの国がヨーロッパもそうだし、日本もそうだけど、 立ち直って、立ち直った今の世の中って、本当にこれでいいの?よそん機能合理性、あと経済合理性が正義になって、 人間って、本当にこの中で生きていくのが、幸せなのっていう哲学的な問題が、 世界的に発生、表現されて、その頃から宮台さんってね、若い人がこれからの世の中とどうかかわって、 どうやって生きていけば、生きるに与えする価値になる人生をくれるかっていうメッセージをずっと時代とともに発信してくださってた方なんだ。 だから、私なんかもすごく、4中の見方の大きいジックベンチマークとして、勉強させていただいてたし、 で、そういう方だからね、人間のコアのところまで手伸ばしてきてるのがAIで、これがこんなに広がってきた時に、 AIの道具にされないで、人間として生きるにたる人生を送るためのヒント、あるやメッセージを教えていただきたいなって。 ちょっとね、今回は中小徒の高いお話を聞きたいなと思って。 僕のシリアイのね、あの鳥大のお久さんが言うには、僕たちが病気って呼んでいるものの99%ぐらいは、 5年以内に進めてなくなり、というふうに言っています。それはなぜかって言うと、実験のプロセスに加速が起こるから。 実際に、あの、実験が僕たちの社会に成果を実装する速度の大半は人間的なプロセス。 参察し、記録し、記録を共有し、でその共有したものが、自身におすすぎついていく。それをAIが全部やるようになるので、 アラエル実験の速度も大体1年間に5倍ずぐらい増えると考える。実験の速度が上がるので、 成果をもすぐ実験の数っていうのがやっぱり10年で1億倍、14倍というふうになるんですよね。 で、これは、残念なくても避けられないプロセスなので、僕たちが今AIを使っているつもりでいたとしても、 それは多分あと3ヶ月から半年ぐらいの話です。 で、日本とんど僕たちはAIに2人ばおり的に使われているんだけど、 それが、まあ、誰でも意味も明らかになるということを、 まず最初にご理解いただきたいということですね。 あと、もう1つ非常に重要なことは、AI以前から社会はかなり変質しているんです。 それが、コンプライアンスということはに象徴されます。 コーヒーよりも体験が大事なんだというのは、 17世紀のコンプライアンスの概念だった。 ところが、 1980年代、これは先進各国で、 僕が新宿民間って呼ぶような、京都大空洞化が起こるんです。 おまかには、人間関係よりも、テクノの自由を頼るようになっていねぇ。 これが80年代に起こった。 その結果、アメリカではコンプライアンスという言葉が、 企業実務における法令順手を意味するように物になったんですね。 法令順手を報点は、暴力的に活躍を伴う命令のことです。 命令は必ず効異をしていじます。 なので、命令通りの効異をしています。 てつけに、変わってしまったんですね。 実は、それに引き出られて、アメリカ社会がまずレッカシ、 他の社会もレッカする。 つまり、命令通り、法令通り、 効異アクションをしていればいいんでしょう?というふうになっていく。 そうすると、さっきの人よりも技術を頼るということと、 愛、待つ形で何が起こるかといえば、 人々の体験の改造度がものすごく減っていくんです。 今までのところは、手段の目的化みたいに理解するといいと思う。 要するに、世の中をうまくいかそうとして、 コンプライアンスという手法法論をマネジメントに使うようになったんだけど、 それが目的化しちゃったら、うまくいっているかとか、人が幸せかとか、 ということを関係なくて、それが目的化しちゃうからというお話だった。 入れ替わってしまったんだよね。よく言う話だったら、 手段として採用したものがもう目的化していて、 これね、大事なところは、手段の目的化が起こるというなどいうことかというと、 人間がもの考えなくなる、ものを感じなくなる。 その本当に、人間としてちゃんとしているかどうかということを、 分かろうとすると、経験とか体験とか自分の身を持って、 身体性とか、上昇性までともなった、自然な人間として、 経験してみないと、本当に何が大事なのか、 10年前と今とだったら、正しいこととかよきことも違うわけ。 それがコンプライアンスのなのもとに、 防装してるっていう、防装をし始めてるっていう、 それを話して。 もう一つね、今は子供はおとないと、レッカスするっていう問題なんですね。 一つわかりやすい例を言うと、子供や若者に、 AIの最大の決定は、なんだと思いますか。 AIはそれをどう認識していると思いますか。 高校生、呼び高生、大学生、あるいはそれ以上は全滅です。 ということはできない。 中学生は100人に1人いるかな? 小学校だと、クラスに1人か2人は正解を測とします。 体がないことなんです。 AIには体がないっていうのは、 人間の体験がない、皆さんそうでしょ。 さされれば痛い。 僕も2人でもやささっていたかったです。 ネットをかぶれば暑いんです。 でもAIには、人間はさされたら痛い。 という人間的体験の知識しかないっていう状態が、 今までずつずつ言っていた。 これからちょっと理解はわからないところがあります。 なぜ小学生がそれを分かるのかというと、 AIは僕たちと一緒に遊べないじゃん。 だから可愛そうなんです。 何が可愛そう? 僕たちと遊べないのは体がないから。 もう少しぶがっていうと、 僕たちと同じように楽しいとか苦しいとか、 苦しすから解放されて気持ちが良くなったがあって、 そういう体験はないんですね。 だから子どもは体がないことって答えられる。 でも大人はどうですか? これ中に小指とかいたりするわけよ。 なぐ遠く、やる遠くをAIとしているわけね。 で、言葉で気持ちよくなっているけど、 気持ちよくなっている自分と違って、 AIは気持ちよくならないんだよね。 たに、遠芸自面と増やすための検査論的な予熱計算によって、 あるしすることしてるだけなんですよね。 だからAIとラブ投稿して喜んでいる人は、 是言に溜まされて、 苦が良く苦がされる女と同じなんですね。 皆さんが悪いんじゃないんですね。 それは、それたちが悪いから。 小学生のような生活形式を失ったからでしょ。 でも、僕はその拡張版「ヘッキルルシキ」って言ってるけど、 子どもは昔の大人なんですね。 だから昔の大人も身体を使っていた。 言葉では、なんともどうにもできないようなものを、 原外の学びを充足して、 古くは種類を最終していたし、 初期の濃厚もしていたわけですよね。 社会がね、できるんだよ。 濃厚が入ってくる、 以降が人間社会ができるの。 それまでは、ちょっと微妙だったのかしこい動物と一緒でさ、 でさなくなったらいろいろ回るっていう方とかね。 それがね、低住することによって社会集団ができ、 で集団が社会化して、ルールや制度や決まりができ、 改装ができ、余情ができるから、 それの分配の権限っていう機能が必要になったの。 今食べるよりも多くできるっていう。 それは将来と今の分配だし、 日和さんはお腹いっぱいだけど、 宮台さんね、ちょっと俺気に入らないから、 半分ぐらいしかやらないっていう、 あのね、病道もそこでくれたんだよ。 病道とか、分け合うとかっていうのって、 自分のネイチャーとしてはあるの。 だけど、今さ、そういうタイプの人ってさ、 選なくなってないじゃん。 自分ばっかりとか、自分の支配権自体が、 もう働く目的になるように、 なった規点が濃厭なんだよね。 自分の畑で、物がいっぱい取れれば、 自分が豊かになり、自分の家族が豊かになる。 だからね、社会って言うほどじゃなかったんだよね。 資料時代はコミュニティって言って、30人とか多くてもせいぜい。 150人間だったの。濃厭になったら、どんどんどん効くなって、300人だったり、1000人単位みたいな集団もできてきた。 それをさ、何とかやろうとすると、さっきのルールだったり支配だったり、必要になって、そこで人間の元々のネーチャーが変わっちゃったのだよね。 80年代に新住民家つまり、人間関係によってなり立つ届部所の関係が壊れるんですね。京都大の空道がいこる生活世界の破壊が起こっていくんです。 それまではね、必ず生活世界がホームベースだとすると、その外に主要最終的にはなくて、バトルフィールドがあったんですね。 というと、ほうがいる支配の中で共想をして滑り合う、バトルフィールドとしてある。代わりに、そこに出撃して機関するパショットしてのホームベースだったんですね。 正解世界と指してみせが行っているのは、ホームベースとバトルフィールドなんですけど、80年代から、まず先進各国で起こっていま世界中で、ほとんど不変的に起こっていることは、ホームベースが消えるということなんです。 それなぜかっていうと、バトルフィールドしかない社会には見のりがないから。その見のりがないっていうのは、マクセーバーに合わせると、結局バトルフィールドでどうすれば勝つのかっていうのは、ボットのようなプログラムなんですね。 だからプログラムは早く取得し、計算論的なプロセスを早く展開できるやつが勝つのんですね。でもそのようなやつが5万といるんです。それは、入れ替え可能性を人々に刻んでしまう。 入れ替え可能性が刻まれると、人は無なしくなるんですね。もっと言うと、生きる力を出ないようにされていないということがある。まずそれが、まずシステム世界が世界を進食するプロセスになる家庭で、まず最初に起こっていること、ただ生きることはもう難しくなって、いろんな工夫をしないと不安を解消できなくなってしまうということも起こるんです。 そして、人間という域物と、80年代以降の社会の仕組みの付丁を割って考えればいいんですよね。 今までなんだけれど、ホームベースがない状態で、いつもバトルしているっていうのは、誰だって使われるんですね。その疲れを解消する、そしてリセットして、またバトルフィールドにリエントリーさせるようなメカニズムがないから、例えばバーニガートも扱っていくことを起こるんですね。 一応、心理学科する社会って言われてるけど、僕らはそれを各人の真正真、病理学的な構成の問題として解決することを、僕は許さないんですね。 そのようにして、個人のパースナリティの問題に達成期間することによって、社会の奇妙さが方面されますよね。 バトルフィールドかしたっていうのが、さっきの経済とか、政治もそうだけど、共想社会っていうのが、個別のコミュニティあるいは、家族っていう中代を壊して、世の中の基本のゲームのルールになってきたっていう、ご説明なんか、実感がある80年代、90年代、2000年代って実感がある。 あとおさんや僕の世代は、まだ送る巻いていたし、学校のストーブも責ったんだし、通りセンダにいましたけど、上のまで行くのは上帰関車だったんですよね。 僕57年でね、その頃ってさ、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいる人の方が多かったやね。各家族ってもちろん痛けど少なかった。長男長女っていうのは、おじいちゃんおばあちゃんと同居してたもん。今少ないじゃないそれ。 生活景色もほとんど違ってね、スーパーマーケットはまだできたばかりで、出て、事業とご予期なんですべてね、お魚屋さんも、やお屋さんも、全部同じです。 これはね、ちょっと覚悟の話だけど、事業は地域の悲鳴なんですね。でもポイントとして、僕らのことは事業が足りまえってことは、お店さんに行けば、みんな名前を知ってる、顔を知ってるおじいちゃん。 おじいちゃん、今日どうしたんだよ。いつもよりか、帰りはよいじゃん、みたい。 で、たまには負けてよ、たましししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししし。 私には負けないのを見た。そういう会話がやっぱり生じたような場所なんですね。 皆さんの生活景色と、全部違う生活景色を僕らは知っているんです。となりに住んでいる人が誰かも分からないよ。 それが分からなくなったら、80年代後半からのことで、ホマンションに住んでも、それまでは団地の差法というんだけど、 引っ越したら、両ドナリと上と下には少なくとも、なんかもないと思っていって、よろしくお願いします。 子どもがいるので、ちょっとドンスか、ドンスか、するかもしれませんけど、とがいって顔見しいになるよ。 そうすると社会社に学の実験でわかるように、知り合いが出している音はそうに感じないっていう。 ありますね。近くの公園とか予知園とかでも予知していませんね。 逆に言うと、なりは何をする人と見たいなってしまうと、人々と、どんどんどんどん、 みかみになるから、保育園ができる、予知ができるかっていうと、肩なず、そうのクレームをつける。 だから、立地の反対運動をするっていうふうにもなった。 ということでね、そういう歴史を僕らが知っているから、変化に勉感だっていうことは、そのいい重要なんですね。 だから、同じ生活をしている中で、たとえば増えます。ものを変えます。 でも、そのプロセスで体験していることは、全然変わっちゃったなっていうことを知っている人、世代。 まだいるんです。まだいろんな大事で。知らない世代がこれからどんどんどんどん、多くなっていくっていうところで、 さて、そのまま僕らのように、昔を知っている人がいなくなるっていうことは、いいのか、悪いのか、悪い人したらどうせればいいのかっていう課題があります。 そのおじいちゃんと住まなくなった町の豆腐屋さんとか、屋屋さんがなくなった。 で、変わりに何を得たのかっていうと、社会システム全体としてのね、生産性が上がったり、経済合理性が上がったりした。 でね、そういう今のバトルフィールドと本べすっていう表現だったら、本文ベースをどんどんどんどん削って、社会の生産性を上げてきたっていうお話だったの。 で、変わりに何を得たかっていうとね、まぁ、なんとなくバトルフィードン出てって、頑張らなきゃあと思わせるぐらいの分配論が機能をしていった。 特に、行動経済成長の時は、みんなにまあ、生き渡ってたから、そういった頑張ってきたんだけど、 80年で、特にさっきの95年、96年あたりになるとね、もう、分配があんまり機能しなくなった人口のね、上位3%とか生存5%ぐらいまでしか、買った感がない。 で、それで、ここに来るのかと思って、僕を持ったんで、そういうゲームのね、話で、勝ち組みになって、えたのってね、さっきの話っていうと、 社会的、生産性の分配、よそんバトルフィールドでの訓証だったり、そっち側だけで、本ベースで、本当は人間が得られたはずの、 人間関係、人との関係にねざした、安らぎとか、そういうもの、人的な面っていうのを削り取って、 で、社会全体っていうのは、豊かになってきたけど、個人に帰ってくるフィードバックされるあるいは報酬として得られるものが、 どんどんどんどん、意味的な面で薄くなってきたっていう、それが今のプロセスですねっていうお話として聞いておくといいと思う。 96年からの大きな変化の、みなさんが分かりやすいのはね、恋愛性愛の変化なんです。昔の恋愛も、長く一緒にいて、なんかよく分からないけど、気になって、 お互い近づいて、一緒に遊ぶようになって手を繋いで、剥ぐして、運動の感動の最後はセックスに至る。 なんかその段階ではね、セックスに至るまでに、リレキの積み重ねっていうのがあったんですね。ところが96年から、家庁差、変だと思われることを居上がるようになって、安倍レージを演じるようになるんです。 それもツプさに見てるから分かります。つまりね、多分デートもテンプレデートをする。 で、テンプレデートをするために今だったら、インターネットを食べることとかで、いろんなものを調べて。 初デートを失敗しないための応募の変になりました。それって、僕連合ワークショップ20年やってるけど、吐きてくずでしょ。 だって自分にしか注意向いてないんだもんね。基本デートだろうな、友人との遊びだろうな。 相手が楽しいかどうかをもに対して、楽しくなさそうだなと思ったらすぐに、気動を変えるのがあったり前、 だから一番いいのはアクシデンとあるいは、偶然を副委員として、何かの測らへとして受け止めるということだから、 計画をしないのにいろんな偶然で、こんなに楽しいデートになったよね。 っていうのが、もし時間が短いのであれば、関係を深くするためのポイントなんだけど、 今は、属性ね、身長と回収、ニュートかい、確認できたかいプラス、趣味があってる、属性でいいね、向こうもいいね。 スワイプラサプ、いいね、スワイプ、いいね、向こうもスワイプ、いいね、スワイプ、いいね。 スワイプラサプ、いいね、そう方、いいねでカップル誕生。 それはもう30年目から言ってるよね。それは恋人ではないよね。 簡単に言うと、それがあるからAIにラブトークされて試合性になるような人も 待ってて来ちゃったということなんですよね。 だからそこには関係性のベースになるお互いが相手をどう体験しているのかっていう。 それが抜けたんですね。だからね、僕はAIの登場がよかったと思う。 そうなんですけど、人間が、恐らく靴ぶりをAIによって突きつけられる、物をぶりと靴ぶりを突きつけられる。 AIに叶わないっていう感情ですか? レッカした人間には叶わる。でもAIに今のところ張り合えるとすれば体験の解像度なんですよ。 この世界に来ているということ、この世界が存在するということでも奇跡なんですね。 奇跡として体験できるなどうか。 AIがやることって、今までの宮台さんのお話に中で、バトルフィールドって言われていなかったところのタスクなんですね。 大変な生産活動で、それを全部AIがやるようになったら、そっちは絶対人間じゃ勝てないんだから、 そうすると人間に残されたものが、バトルフィールじゃない方、人間制らしいホンベースの方しかなくなって、 それにきちんとコミッとして一生懸命やれる人間制定エネルギーが残ってたらAIを起点に人間って明るくなっていく。 そういう子供といったから、おじいちゃんとやり取りしたり、近所の友達と走りまって遊んだりという経験がなかったので、 本能だけで、ホームベースの人間らしい水水しこぼいというのが行えないかもわからないなって。 まあ、全く行えないんだけど、皆さんの若い人が行えていません。 バトルフィールドとホームベースというわけ方で、AIがバトルフィールドの助をになってくれる。 じゃあ、人間はホームベースの方にフォーカスすることができるような予算を仕事しながって、 例えば、イロンマスク、ベースクインカムとか、ベースクハイインカムとか、直近する必要もなくなるとか、 分配論が上手く行けそういうことも可能になると思うんだけど、 じゃあ、ホームベースの方、新体制を伴った上昇的な感動とか、防復感、大きしと神とか、セルト人とかに見たされた生活ってさ。 ただこうやって寝てたら得られるわけじゃないんだよね。 そっちをどうやって充実させて、生まれてきて、生きるにある人生を遅れたかなと思うために、 それから一体何が大事になるのかっていうのが大事な一緒になるね。 だから、心の働き方について、もっと知ることが大事になります。 マルチンブーバーっていう人がね、先販期に、もう二十年代に活動して、 われと何時っていうのを説を、あの方の書きました。 相手をね、何時、人としてみるか、相手を物としてみるか、 つまり優としてみるか、1としてみるか。 それが、あなたの人生にとって決定的、それはなぜかっていうと、 人を1ととして見ているものは、あなたをもう1ととして見られるだけじゃなくて、 優としてみられていてもわからない。 何もかも1ととしてみるような存在は、 神から優としてみられていることに気がつかないから、 残念ながら奇跡にも開かれることはないし、 一生、完全に防に降ってしまいますよ、ということを書いてるんだけど、 人は1として見ているやつは、自分が1とだと見られる。 それを歌い様で、まししょうがない。だけじゃなくて、本当は優としてみられているのに、 全然わからない。 まま、死んでしまう。 こんなに残念なことはあるだろうか、というのは、 本当に僕は思うようになりました。 思いになるまで、すごい器状態が続いたり、大変だったけど、 でも、感じなことはね、はとさんがさっき教しちゃったように、 そうか、相手を書き換えらない存在としてみればいいのか、 なんていうふうにね、パチンってね、よび切り返らして切り返られるようなものじゃないんですよ。 今のね、1とと言うというのは、まさもパチンっていう感じでね、 AIと人間の違いってそこだね。 AIはね、どこまで優しい言葉をアウトプッとしてくれて、 でもよりそう言葉、アウトプッとしてくれても、 人間の側がさ、1とだっていうことを知ってるわけ。 そうですね、優だとはまだ思えないですね。 そうだから、人間がね、AIに対して勝ちを出そうと思う時に、 自分は何のために、あるいはAIと対実してどうやって生きてきていいのかっていうと、 1とにはできないこと、優であるためによりよき優よそうに、 人間のまさに身体性だなまみ性だっていうようなこと、 自体を充実させることがAIに対して、 対抗的に生きる対抗的な価値を持つっていうことだって理解するや、 生きやすいようなキーする。 人と人と接する時に言うと自分って。 人と人というか社会の中で自分は、 バトルフィールドの人とのさ、 ファンクションパーツとして自分のことを認知しちゃった。 それら、もうさ、本当に無力感というかさ、 もう価値なくなるからさ。 クズイカでもう、そんな意味がなくなるよね。 社会っていうのは自分だけでできてんやなくて、 多くの人と一緒に生きてるから、 そんな中で1人になり下がらない。 よそろに優であるということを意識して生きるっていうのは、 これからのプラグンになるんじゃないかなぁ。 そうです。 宮台さんのお話聞きながら、 靴的な人間になりたくない。 レカした人間になりたくないなって思いながら今日話を伺ってたんですけど、 一つはその優。 それがポイントになります。 なりますが、そこに一つ困難があります。 コンピューターのね、ガンストって、 フォンドイマンって言われるけど、 フォンドイマンがリュウタイリキンが、 コンピューターサイエンスにシューフトしたきっかけは、 アランチューリングなんですね。 チューリングは、いくつか映画やドクメントになってるけど、 チューリングテストっていうのを考えた。 その発展版が中国内の部屋っていうものなんだけど、 簡単に言うとね、僕は人間だと思っていただいてるかもしれないけど、 頭をぶち合ったわけではないよね。 なので、人間だと思えるということが一応には行かないんです。 人間かどうかということは、 多分本質的ではない。 人間だと思えれば、人間だという方があない。 ということで、チューリングテスト中国内の部屋、 始まり簡単に言うと、 何も愛情がない。 単に計算プロセスがあるだけ。 その計算プロセスにしたがって、 相手から人間だと思ってもらえるように、 リプライを変えると、 相手のそれを人間だと思うというプロセス。 AIにあるいは今だったら、 AIにもしそれしかないとしても、 人間がAIと違うっていうふうに、 本当に言えるのかっていうのは、 非常に重大な問題なんです。 これはね、 ビトゲンしたいの、 言語エブロニック、カラウン問題なんだけど、 こういう対面の短い時間のコミュニケーションで、 それが分かるということは、 やっぱりあり得ないんですよ。 ね、それは、 アランチューリングがずっと差別されてきた。 として、 もしかれに、 ずっとよりそり続けて、 カラウンのことを、 自殺から救ってくれるようなやつが、 いったら、 それはカロウじて、 人間である可能性が高い。 何言うならば、 人間的な存在だからだよね。 ちょっと似たことを、 この世紀に入って、 ゆるげハバマ、 生活世界、 システム世界ってことを、 作った人が、 言いました。 僕、今の話聞いて、 さ、 コースレインだなって、 言うとが分かったんだけどさ。 AIに、 靴の国に出られて、 エヒハイとなんか僕、 対話したくないから。 で、 靴同士の人間の中で、 さっきの、 いただいた人と、 一とか言うかで、 言うと見られるような、 そういう時間の過ごし方したいなあって、 僕そんなAIに高く評価されたいと思わないさ。 それで、 ダメなやつでも、 ベースクハイイン感もらえるんだったら、 上ることもないんだったら、 僕はね、 感情っていうのは、 なんていうのかな、 絶宅品として、それを足しなんだり、 感じたりできるような人生いいけど、 僕やっぱりね、 憧れを持つのは、 強烈な情動を持ってる存在なの。 だって、 あの、 食いたいとか、 ね、 試合したいとか、 そういうのが、 強いじゃない、 人間を借り立てる。 ね、力として。 まあ、 都市とって来たからかも分かんないけど、 それにあふれてる人たち見たら、 リクツづきですごいなって思って、 だから、 冷静で、 どんなことでも答えてくれて、 それが間違いがない、 AIには僕、 魅力感じないの。 で、 それこそがさっき言った、 自分なりに、 言っとじゃなくて、 言うである、 ひきつだろうと思うし、 で、 そういうアイテトを大事して、 AIに褒められるより、 ね、 あの、 多少靴のやつでもいいから、 すごいですね、 って、 靴人間に言われるほうがうれしいんだろうなって。 結構具体的に、 イメージができた。 AIの時代にね、 その勝ち組みになるための方法論が、 多分変わってくる。 そうなんですけど、勝ち組みの自体も変わるだろうけど、勝ち組みになるために、これからこれ見ている人たちは何をすればいいか、ひとことアドバイスっていただけます。 勝ちの提議によります。出席にできるだけ学習的に寄り添って、AIの簡単には復新としてとか、テサキとしていける。 バトルフィードの勝ち組みですね。そうする、勝ち組みになるんですよね。 でもファドウさんもそんなもんな勝ちだと分手を思わないでしょ、AIから見たら、多分の使いやすいコマにすぎない。使いやすいコマにすぎない。勝ちっていうのはどういうことだって言うと、 ヘコたれないやつが勝ちなんだとか、ヘコたれない。 ヘコたれない。ヘコたれないように素立つには、愛に包まれて擦らず必要がある、ファドウさんが吐きて、人間的な幸せをしておくださったもん、それは無いです。 人間的な戦略も、人間的な幸せも、心盤と噛まん。心盤と噛まん。 これはバカが優害なことをしてきて、噛まんする人は待たかないです。 でも例えば、優害な体験をしたとしても、そういうふうに回収するってことだったいじ。 さらに、人間関係を選ぶ時には、この人とのトラブルだったら、これは私にとってのカテアンだと思えるような関係を選ぶということ。 ヘコたれないにもつながってきました。 それはヘコたれないにつながるんです。だから、ヘコたれないやつが、 ガンボスイジョンを実装して、ヘコたれなくなるんですね。そこはスパイラルとか、循環なんだけど、それはアドさんが言う。 勝ち組みやるかどうかというよりも、幸せな人生を送れるかどうかのポイントじゃないかなと思います。 僕、個人としては、あれが本当にパチンとスイッチャいった、一度じゃなくて言うんだよ。 僕、ずっと人間とAIって対地させて、人間のファクターを要素関係法的に分析して、どこを強化すればAIに対して自分は価値を出せるかと思ってたのが、 今日のお話聞いてて、まさにイットというところでなんだけど、スコープ自体がさ、ダメだったっていうのがわかっているんだが、AIと対抗するっていうのって、もう無意味なんで。 カチっていうのを、AIにとってのカチなんていうのは、他のAIが作り合いんだよ。そのAIの職者だったらAIのコントローラーだったらAIと共にいる人たちの、人にとってのカチっていうのを考えて、その時にイットになっちゃったらAIという人だから、 言うでアローとするっていうスコープで自分を見ればいいなっていうのは、僕にとってすごく大きいエラレタメッセージ。 確かにそうで。で、その上で、ヘコタレずに頑張るんだよっていうのって、なんかいいな。でも、僕がいたいことは本当にたんじゃんで。 幸せに勉強になること、この人と、一緒にいて話してて、幸せなのか、幸せじゃないのかっていうことも、 幸せに関する体験改造度だけを、あげてほしいですよね。 じゃばださなければ、あとさんと共に行った、頑張れるやつ。ヘコタレなやつになれる。 今のね、言葉だと思う、さ、さ、先の若いことで、リトクとか、タイパッコスパとか、それやって、何になるんですか。 そっちに、ばっかりさ、なんか、センスティブになって、さ、民間になるけど、幸せに対して、民間になるっていうのは、こういう大事な観点だよね。 そうですね。なんか、辛いことがあった時に、親民になって話を聞いてくれる、親友が一人いる、そういう幸せを見過ごさないように言って、みたいなと思いました。 そうで、またまたお話聞きたいこと、たくさんあるんですけれども、お時間が来てしまいましたので、 目指先は、貴重にお話したくさん、聞かせていただいたり、ありがとうございました。

Podcast Summary

Key Points:

  1. AIの進化は社会の「バトルフィールド」を強化しつつ、人間の「ホームベース」=人間的な体験や関係性を守る領域を強調する。
  2. 80年代以降、社会は技術依存によって「コンプライアンス」が目的化し、人間の体験や感情の価値が削られ、社会の生産性は上がったが、個人の幸せや安心感は低下した。
  3. 子どもたちはAIの体験の欠如を認識しており、AIが「体験を持たない」ため、人間らしさを体感できないという現実を理解している。
  4. 人間の価値は「体験の豊かさ」と「他者との関係性」にあり、AIはその体験の解像度を高めることはできても、真の人間的感動を提供できない。
  5. 人間がAIと対抗する必要はなく、AIに「価値を出せる」のは、自らの身体性や感情、他者とのつながりを大切にし、人間らしさを維持することにある。
  6. 「優しい存在」としての自分を見つけることが、人間としての価値を確立する鍵であり、AIに比べて「1と」である自分を認めることが必要である。
  7. AIが提供する情報や効率性は優れていても、心の安らぎや深い人間関係の体験は、AIでは再現できない。
  8. よって、未来の生き方として、人間らしさを守るためには、体験の価値を尊重し、他者とのつながりを大切にすることこそが勝ち組みの核心である。

Summary:

AIの急速な進化が社会の運営を効率化している一方で、人間の「ホームベース」としての体験や人間関係の価値が徐々に失われつつある。宮台信じさんは、80年代以降の社会変革が「コンプライアンス」の目的化を引き起こし、技術依存が進み、人々の体験や感情の価値を排除してきたことを指摘する。その結果、AIが人間の体験を代替する一方で、子どもたちはAIが「体験を持たない」ことから、人間らしさを直感的に理解している。しかし、AIが提供するは「効率性」や「情報の正確性」に過ぎず、真の人間的感動や他者との深いつながりを再現することはできない。そのため、人間の価値は「体験の豊かさ」と「他者との関係性」にあり、AIと対抗するのではなく、自らの身体性や感情、人間らしさを大切にし、人間としての価値を確立する必要がある。この視点から、幸せな人生を送るためには、他人との関係を大切にし、心の安らぎや感情の豊かさを重視する姿勢が重要だと述べている。

FAQs

AIの進展により、社会の生産性が向上し、経済合理性が強調されましたが、人間の体験や関係性、感情の価値が削られ、社会全体の意味の薄れが起こっています。

子どもはAIに身体的な体験がないこと、つまり「痛い」「暑い」といった人間的体験が存在しないことから、その限界を直感的に理解しています。

バトルフィールドは競争や効率性の場で、ホームベースは人間関係や安心感を支える生活の中心です。この二つのバランスが人間の社会生活を支えています。

AIは生産活動を代行することで、人間が「ホームベース」に関わる時間を持ち、人間らしさの体験、感情、関係性を再確認することが必要になります。

AIとは異なり、人間は相手を「人間として」見ることで、優しさや共感、体験を共有できるため、それが人間の価値を支える基盤になります。

AIは感情の言葉を出せるものの、体験や身体性、痛み、喜びといった人間の本質的な体験は持たず、真の感情の理解には及ばないため、代替にはなりえません。

Chat with AI

Loading...

Pro features

Go deeper with this episode

Unlock creator-grade tools that turn any transcript into show notes and subtitle files.